店主BLOG

2011-01-17 17:50:41

16年後の1.17

このところ続く寒波。
毎年センター試験の時期には大荒れの天気という印象があるけれど、
それにしても、今年はしっかり降りますな~[:ゆき:]
「豪雪、全国各地大荒れ」なんてニュースでも伝えられますが、
実はこれでもスキー場の積雪量は多い方ではないのだとか。。。
温暖化が進み、人の寒いという感覚も少しづつ変わった。
寒さに対する適応能力が鈍ってきたのでしょう。

16年前の今日も、雪は降らないまでも寒い寒い朝でした。
私の暮らす町は落下物や壁のヒビ、水槽が割れて水浸しになったけど、神戸ほど被害がひどくなかった。
16年前、うっかりコタツでそのまま寝てしまったんだ。
姉も同じくコタツでそのまま寝てしまい、二人で抱き合って揺れが静まるのをまった。
そして母親が寝室からあわてて降りてきた。
みな放心状態だった。
まだ被害がこんなに大きいこともわかってなかった。

六甲山の表側ではとんでもないことになってたんだね。
地震から数週間たった頃、
「何かできることはないのかな。。。」
と考えるようになった。

新聞の記事で、「青空美容室」のボランティアを募集していた。
仮設住宅で暮らす人たちの髪を、空の下でカットする。
その当時、美容師のアシスタントをしていたので、
「アシスタントでも参加できますか?」と聞いたら、大丈夫と答えてくれた。
ひとりでふらっと新開地のほうまで出かけた。
でもきっと、そんなに役に立ってなかったんだと思う。

やっぱり何年たっても明確に覚えてるんだ。
よく 被災していない人、報道番組とかが
「この日を忘れちゃいけない」とかって言うけれど、
理屈としてそれはわかる。
でもほんとに被災した人は、忘れたいだろうね。
思い出したくないだろね。
実際に被災してない人が、正論のように言うのがなんか嫌なのね。

だって新開地の空気感、そんなに思い出したいと思わないもんね。
やっぱり被災した方々の心の穴はぽっかりと空いて、疲れ果ててた。
家がなくなったり、家族がなくなったり、そこの穴を他人が埋めるのはむずかしい。
何も出来ないと実感した。

良くも悪くも、今は携帯電話が一人に一台なんていう携帯文化。
16年前には、携帯電話を持ってるひとも今よりはるかに少なかった。
居場所を探すのは困難だった。
昨今、海外で起きた地震では携帯電話の発信やGPS機能で救える命も出てきた。
そう思うと16年の間に社会は変わったな。

私が知っている兵庫県作用の生産者グループ「南光いも煮会」の渕上さん。
この方は地域の皆さんと1.17慰霊式典で使う竹燈籠の竹筒を、神戸にずっと送り続けている。
もう14年になるのかな。
今年も地域の皆さんと1500本の竹筒を送ったそうだ。

その日限りのボランティアではない。
何年も同じことで支え続ける渕上さんのような人たちこそ、
被災者の方の心の穴を埋められるんだろうな。。。


先日、お店の向かいの喫茶店にシュガーポットとお店の看板を納品してきました。


喫茶店を始めてから何十年とずいぶん年月が経つそうですが、
年明けから心機一転、新しい看板でお客様を迎えてくれてます。
それにしても、毎日常連のお客様がわいわいやってくるとこだ。
うらやましい限りだ。